Patriot Game 強さの意味
2013年01月10日 (木) | 編集 |
産経ニュース
箱根駅伝に思う日本の競争のあり方 「低下」招いた日教組ら、米教授が指摘:作家・板谷敏彦


 正月は箱根駅伝のテレビ中継にかじりついた人も多いだろう。駅伝は他のスポーツに比べてルールが単純で誰にでもわかりやすい。また区間ごとに各チーム1人の選手が競うために各人の責任が明確で、それだけにヒューマンなドラマが数多く誕生する。寒空の下の選手たちのひたむきな姿勢と闘争心には感銘を受けた。

 昨年19位ながら総合優勝を果たした日体大は、先頭でたすきを渡す選手の顔が皆笑顔であったのが印象に残った。彼らはプレッシャーに押されるのではなく精神的な高揚を良い成績に結びつけたのだろう。一方、2位でたすきを渡す東洋大の選手の顔からは、追いつかなければならないプレッシャーからか笑顔が消えていた。2位では不満な大学もあるのだ。

 18世紀のスイスの数学者、ベルヌーイはこれを効用(満足度)という概念で説明した。各駅伝参加校はそれぞれが自己の戦力を分析し、各自の満足できる目標に向けてできる限りの激しい練習をしてくる。優勝のための練習とシード権確保のための練習の厳しさが同じだとは言わないが、その大変さに違いはない。公平な競争は多様な参加者を産み出す。誰もが優勝を目指しているわけではないのだ。

 ハーバード大学の歴史学教授、アンドルー・ゴードンの書いた近現代史「日本の200年」にはこういう記述がある。日本人があまり指摘しないポイントだ。

 「(日本の)学力主義にもとづく高校と大学の入学制度は、みごとなまでの平等主義を誇っていたが、その平等主義が1970年代から80年代にかけて大きく侵食された」。70年代に受験地獄を見かねた日教組や知識人たちが提起した「ゆとりある学校」のことである。バブルと同じ章に書かれたこの一文は日本の国際競争力低下の原因を暗示している。

 当時は古くからの公立進学高に学区制が敷かれ、できる限り競争を排除しようとした。その結果、受験生と教育熱心な両親たちは塾や私立一貫校へと走り、一流大学入学者は裕福な両親を持つ者が多くなった。受験には経済力が必要となり、社会的地位の格差や経済格差は学力格差を通じて固定化され始めたのである。

 「中国化する日本」を書いた歴史学者、與那覇潤(よなは・じゅん)のいう「身分の再固定化」を意味する「江戸時代化」である。

 大学駅伝のような公平な競争基盤があれば、裕福な者がより高みを目指す一方で、貧しい者は、人から見ればささいな目標にも、向上心を持って死ぬ気で頑張れるのである。少子化で大学全入の中、多彩な人材育成には多彩な大学入試制度は理にかなっているが、実はフラットな競争こそが多彩な人材を産み出す。昔の日本には実に多彩な人材がいたのである。




受験は公平な競争制度

金持ちも貧乏人も不良でも合格すれば一流大学に入れる

人生をやり直すことができる

個性だ自主性だという妄想を植え付けられて

勉強できなくてもオンリーワンな生き方ができると思ったら大間違い

社会はそんな仕組みになってない

社会に放り出されて騙されたと気づいても後の祭り

やっぱり子どもはガッツリ勉強させるべきだよな(´・ω・`)

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